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正月に初詣は意味があるの?行く時これだけは考えておいてほしい3つの知識と心がけ!

正月になると誰でも初詣に行かなきゃ!とそわそわ考えるものだ。
初詣に一年のけじめや幸先を良くしようという意味を込めていることも多い。

もちろん昔からの習慣ということもあるけれど、実のところそういう自己暗示的なことを除くと、本当に行く意味があるのだろうか?
まじめにこう考えているのは私だけではないに違いない。

私はといえば、正月の一番寒い季節にわざわざ大勢が詰めかけているような有名な神社に出かけたりすることにあまり意味があるとは思えないクチだ。
だからこのところ初詣はご無沙汰。

というより、一番混み合う3が日とかに行くのをやめて、正月がちょっと過ぎたり、もうちょっと遅めになって暖かな春先になったりしたときに適当な近場の神社を訪れたりしていることもある。

それでいいんじゃないの?とも考えるし、実のところ初詣を含めて神社などに参拝することは結構大切になることがあるのだ。

そのような知識、そしてひいては心がけを忘れてはならない。
それを解説してみたい。

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正月の初詣は、昔も今も験担ぎの意味

正月に初詣に行く意味は、上の通り今では多くの人はそういう自己暗示、そして験(げん)の良さを狙って行くのではないだろうか。

そのほかには何といっても彼氏とデートに行ける絶好のチャンス。
やっぱりこれは外せない。

クリスマスもそうだし年末の除夜の鐘を聞きに行ったりなど、季節的にはカップルにとってはありがたいイベントが続いているのだ。

もともと初詣とは、正月には氏神という、その土地を守護している神様の鎮まっている神社に去年一年守っていただいたことを感謝するとともに、今年一年について無事に過ごせるよう願うことだった。

だが私も含めて、なぜかあまり感謝する、という意味が薄れてきていたりするのではないだろうか。

そしてその代わり、私もそうなのだが願い事を申し立てること自体が初詣に行く意味の100%を占めているようにも感じる。

初詣に必要な3つの意味と心がけとは

だからここで改めて心がけておかなくてはいけないのは、一つ目のこととして、

まず神社というのは神様が鎮まっている場所だということ。
これをぜひ心にとどめておいていただきたい。

人にものを頼むこととは異なり、神様に願い出る場所だから、自ずと神聖な場所だと言うことは理解できるだろう。
だからそういう場にふさわしい態度や作法が必要になってくるし、もちろん他の参拝者の方々が不快になるようなことも厳禁だ。

ここでちょっと参拝の作法について確認しておきたい。
細かな仕方もあったりするけれど、大まかには以下のことを押さえておけば十分だ。
神社の前に立ったときから参拝まで、順に説明してみよう。

・鳥居をくぐるときは一礼。これを一揖(いちゆう)という。
・社(やしろ)まで延びる参道は決して真ん中を歩かない。
 (真ん中は神様が通る場所「正中」だから)
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・手水舎(てみずや)にまず行き、
1. 右手でひしゃくをとって水をくみ、左手にかける。
2. ひしゃくを左手に持ち替え、右手にかける。
3. また右手にひしゃくを持ち、左手の平をすぼめてそこに水を注ぐ。
4. その水を口に含んですすぐ。
5. 左手に水をかける。
6. ひしゃくに水をたたえたまま、それを立てて流れる水で柄の部分を洗う。
7. ひしゃくを元の位置に戻す。
・そして社に行き、正面に立って、
1. 一揖する。
2. 鈴を鳴らす。(これが神様を呼ぶ合図となる)
3. お賽銭を賽銭箱に投げ入れる。
4.二礼二拍一礼。 
  (手を叩くのは、神様に対して自分が素直に本心をに示す意味がある)
・神社から帰るときには鳥居をくぐったとき、一揖。

最低これだけ押さえておけば十分だ。
というか、実のところ確認しながら記事を書いていた私自身、知らないこともあった。面目次第もございません!苦笑

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感謝の気持ちを忘れないこと

そして二つ目として、繰り返すけれど単に願い事を祈願するために正月に初詣に行く意味があるのではない。

あくまでもそういう神社に鎮まっている氏神様というのは、一年間私たちの世話をしてくれて守ってくださったこととなる。

昔は日本人も多くが農民で、天候や天災に生活や命が大きく左右されてしまうことが多かった。
だからこういう氏神様に対して祈ったり、感謝の意味を考えるのは自ずから自然なことだった。

その習慣が今でも続いている、と考えても良いが、そういう筋の人に聞くと本当に神社などにはそこに鎮まっている神様が土地の人を守護しているそうだ。

だからせめて正月の初詣くらいは、神様に感謝の意味を込めて参拝することも大切になるはずなのだ。
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自分のエゴだけ願おうとしないこと

最後の三つ目。
正月の初詣だからといって、この機会とばかり何でも自分の思い通りのことを願おうとする人が多摩にいたりする。
というか、私の友人などみんなそうかも知れないし、私も同類かもしれない。

だがここでよくよく考えてみてほしいのだが、いろいろな願い事をするのは基本的に自由なのだが、それを聞き止める神様の立場になったら、果たしてこちらの願い事を全部聞き入れてくれる気になるだろうか?

その願い事の中には就職や交通安全、結婚や彼氏などなど、無数にいろいろあるに違いないが、私たち生身の人間だってその中には聞いて不愉快になる願い事もぜったいある。

実のところ神様も同じ、というかもっと厳しいらしい。
どういう意味かというと、同じ願い事でも、自分のエゴがガチに出たような願い事などはあまり聞いてくれないらしいのだ。

勤め先の同僚に大嫌いな人がいるから何とかしてくれ、とか、好きな人に彼女がいるから追っ払ってくれ、ひどいのになると誰々の寿命を縮めてくれ、とかとか。
こういう願いでは逆に天罰を受ける可能性だってあるだろう。

逆に神様が聞いて喜ぶような願い事や祈願だったらすごく良いと言う。
どういう願い事かと言えば、一言で言うと「清い願い」。

たとえば自分だけではなく、周りや世の中のすべての人々の幸せを願うこと。
そしてもう一つは神様への感謝とともに、こういう多くの人たちに対しても感謝の気持ちを捧げること。

耳に痛い話なのだが、正月の初詣、意味があるかどうか、とともにこう考えると、参拝するこちら側から意味を作っていくもの。
そういう積極的な気持ちも必要なのではないだろうか。

山口昌子(やまぐち あきこ)

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