厄年という言葉、死語だと思っていたのは10代20代の女盛りの頃だった。
だが結婚もままならないまま、こうして30代を向かえてみると、ちらほらと身内や知り合いに病気になったり離婚したり、果ては女として“劣化”したりと、イヤなことを噂に聞くようになる。
悔しいけど、昔から言われている30代の女に厄年が10年のうち2回。
他の10年よりも多い。厄年がない10年だってあるのに!
嘆いてもしょうがない、嘆いていると独身女の身であること自体がイヤになるので、そういう30代に2回ある厄年、それを何とかしてむしろプラスの方に考えていくことを伝授したい。
伝授というと大げさだ。
でもこの厄年の“警告”があることで、大過を避けることだって出来るわけだ。
なのでちょい足し知恵だと思って面白おかしく語ってみたい。
よろしくおつきあいくださいませ。
厄年は警告の印
まずなぜ厄年というのがあるのか、そしてなぜ30代の女にわざわ2回も厄年が回ってくるのか?
このあたりを基本的知識として押さえていただきたい。
厄年というのは、「良くないことが多く発生する年齢」のこと。
古くは平安時代からそういう記録が見られるものだ。
だが同時に「風習」というべきものということも出来る。
かなり迷信に近いという人もあるし、私も調べてみたけれど具体的な根拠はないようだ。
たぶん統計的に見て当時から、そういう年齢の女や男が病気になりがちになったり、災難に遭ったりする。
確かに30代の女というのはとかく結婚して生活や仕事がガラリと変わったり、若い時よりも一回りからだが劣化してしまうので、2回も厄年が巡るというのはそういう統計上からだ、と言うのが一番説得力がある。
確かにいわれるとなるほどと思ってしまうこともある。
厄年というのは、だから
“そういう年齢になったらいろいろなことが起こることが多いので気をつけなさい”
という昔からの「警告」だと思っておくとよい。
ちょっと解説が後回しになったが、女の厄年は30代のうち、33歳、37歳が本厄で、その前1年が前厄と後の1年が後厄となる。
そしてさらに、33歳の方が大厄。
37歳が小厄といわれている。
いずれも『数え年(生まれた日を1歳とする年の数え方)』で見た場合の年齢となるが、ややこしいことに神社や仏閣によっては別な基準があるようで、結構混乱してしまう場合がある。
なので詳しくは参拝を考えている社寺に直接お問い合わせいただきたいのだが、おおよそは上のような年齢だと押さえておけばよい。
厄年はこだわり過ぎも良くない?気の持ちようも大切!
ただし、はっきり言って、結構気の持ちようもあるかと思う、というのが私個人の考え方だ。
厄年になったら神社仏閣に厄除けのお参りに行かなきゃならない、ということを誰もがよく知っていると思うし、実際そういう風にお参りして過ごしてきた女の方は多いだろう。
私もその一人、と言ってしまうとミもフタもないのだが、私の場合は自分で気になると言うよりもむしろ死んだ祖母が熱心で、一人暮らししている中、いちいち夜に電話をかけてきてどこそこの神社が良いから必ず行け、とせっつかれたといういきさつがある。
また、私の友人女史の中にはフラチなヤツというか、全然意に介さない女性もいたりして、生まれてこの方七五三も含めて全然神社に行ったことがない、という女もいるのだ。
でも彼女、それでも30半ばになる今までなんの大病も災難もなかったよ、と豪語している。
人によりけりだと思うけれど、もちろんそういう厄除けのお参りをしても災難とか病気で死ぬ人は死ぬはずなのだ。
なので基本的に気の持ちようからとらえてみることも大切になるだろう。
要するに、厄除けのお参りしたから私は大丈夫だ、という安心感が欲しい人なら行けばよいし、そうでなく
神社とかお寺とか嫌い!
とののしってやまない友人女史のような方だったらむしろ行かない方が気持ち的にも良いかも知れない。
そこはそれ、大人の判断でやっていけばよいのではないだろうか。
厄年に被る災難は、お参りしても避けられない?
話を戻そう。
厄年はそういうわけで、良くないことが起こりやすい年齢だとするならば、神社やお寺に厄除けのお参りしたからと行って、必ずしも災難を避けることが出来るわけではない。
素朴に感じる疑問がこれなのだ。
そもそもお参りに行っただけでがんや高血圧から来る種々の病気、そして事故などがおいそれと避けることが出来るならば、日本でこれだけ乳がんの患者が増えることもないし、交通事故が多発するはずもない。
なので基本的にあくまでも気持ちを落ち着けるためのものと考えて良いと私自身思っている。
だが知人の中には霊感の強い女もいたりして、彼女の言い分によるとそういうお参りを心から真剣にしている人とそうでない人はやっぱり「どこかで違う」とも言うから参ってしまうのだ。
「別に変にこだわる必要もないし、行かなきゃ行かないでかまわないかも知れないけれど、そういう神社とかお寺には見えない力だってきちんと働いているものよ」
「日頃からの行い、心のあり方も大切だし、そういう行いとか気持ちを自分に持たせるよう“確認”と“約束”を表すためにも厄除けのお参り、それはそれで大切だと思うよ」
何となく説得力、というのはこういう彼女の語り口かも知れない。
30代に2回も訪れる厄年で未婚女はウツウツに?
けっきょく厄除けのお参り、というものの意義自体は上の彼女のコメントでいい切ってしまったようなものなのだが。
でも気持ちがしっかりしていると確かに仕事上でもそれほどに落ち込みすぎずに進めることが出来るし、何となくだが20代の体も気も張っていた頃には私もちゃんと彼氏と付き合っていた。
運が運を呼ぶようなもので、気持ちは確かに大切なのだ。
しかしながら。
“あのねー、30代に突入しながら、いまだ未婚のままの女がこうも世の中に多いって、これこそが災難じゃない?
2回も30代に厄年が巡ってくるから、やっぱり結婚も私たち遠のくっていうのかな?
厄年になると体調とか、仕事とか生活なんかの身の回りでいろいろと悪いことが起こるというけれど、結婚出来ないというのもそういうことになるわけ?
私だって厄除けのお参り何度もしてるのに、いまだに良縁無し。
何だかお金出して毎回買ってくる神社の御札がインチキに見えるんだけどね。
ちゃんと真剣に拝んでるんだよ毎回。
でも何もナシ。
これってどういうことなの?”
以上は厄年女の友人女史、そしてそれに私の心の叫びをミックスしたコメントだ。
でも同じことを想っている方も多いはず。
友人とお互いに身の不運を言い合う30代女。
横で見ていてもウツウツになるし、必ずしも見栄えの良いものではないはずなのだ。
2回の厄年だからといって嘆きすぎるとやっぱりツキは逃げていく。
あんまり嘆きすぎると、それこそ災難を呼ぶようなものだ。
私も仕事を続けていく上で、確かにそういう手応えを経験していたから間違いない。
確かに今、女が40になる前に結婚出来る確率は1%とも言われているような世の中で、そんな時にお参りして自分だけ良い目を見ようとしても限界なのかも知れない。
結婚運とか婚活でチャンスをつかむのは、人間だけの浅知恵ではどうしようもない。
厄除けのお参りこそそいういう神妙さを女として持つのも良いけれど、結婚したくても出来ない30代。
いつもではマズイかも知れないが、たまには神様に愚痴をたれたくなるのではないだろうか。苦笑
山口昌子(やまぐち あきこ)