「厄払い」をしなくてはならない年齢。それが「厄年」。
その厄年が、30代の女性に2度も巡ってくるのはよく知られている。
でもそんなもの迷信だ、意味ないともよく言われたりする。
実際、私も厄払いを経験したけれど、何も変わったこともない。
だから自分でも「やっぱり意味ないな」と言ってしまう。
で、お金をかけた分よけい落ち込んだ。(笑)
ただ、そういう表面的な効果だけでなく、もっと深い意味も含んでいるようだ。
誰も書かない、それでいてすごく大切なことになるかも知れない。
それをぜひお伝えしてみたい。
意味ないワケじゃない?厄払いする心や気持ちが大切!
結論から言ってしまうと、「厄払いは意味ない」とは簡単に言い切れない。
その理由は、受ける人の心への影響、気持ちのあり方を考えればおわかりのはずだ。
こういうものを、
「迷信だ」
「お寺や神社の銭もうけ」
「やってもムダ。意味ないじゃん」
というのは簡単だ。
実際私も、受けたから難を逃れた、神様に助けてもらったという感触ははっきり言って全然ない。
「心の安全料」?余裕も生まれてくる
けれど、厄払いをして何が変わるかと言えば、受けた人は気持ちに余裕が生まれたり、安心感がもてるということ。
逆に受けていない人はそういうものが持てない、ということになる。
特にこういう儀式に心を動かされやすい人は、意味ない、などと言えない。
それこそ心の部分で絶対大きな差がある。
私がお伝えしてみたいというのは、まさにこの点になる。
だからこういう厄払いというのは、一種の「心の安全料」、とでも言えるだろう。
たとえ迷信と分かっていても受けた人はそれなりに安心できる。
そして仮に何かの災難があったとしても、
「もっと深刻な大事にならずにすんだ」
とか、
「こんなに軽い怪我ですんだ、助かった」
という風にも考えていけるのだ。
こういう気持ちのあり方、すごく大きなはず。
だから、受けることで気持ちを後押ししてくれる。
そう考えれば厄払いは大切だと言えそうだ。
受けなくても意味ないワケじゃない?ネガティブ思考に惑わされないことも大切!
もちろん人それぞれ考え方がちがうし、受け止め方だってちがう。
迷信だと言い切って厄払いなど全然考えない人もいるし、それ以前に自分の厄年すら知らない人だっていたりする。
でも、一方でこういう人たちの態度も確かにスジが通っている。
その理由は、第一に、こういう人たちは、それだけ心の強さを持っている。
迷信と切り捨てて無視するのは、そんなしっかりした気持ちの表れだ。
また、厄年に気づかず年齢をすぎてしまった人というのはたまにいるけれど、そういうことに絡んだネガティブな気持ちを忘れて過ごしている、とも言えるかも知れない。
うらやましい人たち、と思うのは私だけだろうか?笑
あえて厄払いしないことで心の強さを養える利点も!
上でお伝えしたとおり、こういうことは迷信や伝統的な習慣のワクの中にある。
だから効果を現実に期待すること自体は、確かに意味などないかも知れない。
となれば、現実に全く厄払いをしてもしなくても、変わりはないわけだから、後は気持ちの強さを持つようにする。
だから、人それぞれで、あえて何もしないで厄年を過ごす、ということも一つの考え方としてあるかも知れない。
厄払いに行った人の方が、実際にはけっこう大なり小なりそういう災難に遭っていないだろうか?
たとえば交通事故に遭ったり、思わぬ怪我をしたり、出費がかさんだり。
逆に、全然厄年とか厄払いなど一度も気にしたことがない、そういう“独立独歩”みたいな思考ですごしている人の方がなんだか毎日をつつがなく過ごしていやしないだろうか?
なぜかというと、そういう人たちの方が
「自分で気をつけて過ごそう」
という気持ちが強い。
こう言えるかも知れない。
だから「厄払いには意味ない」と、割り切っている人の方が、むしろ現実をしっかり見据えて、気をつけたりがんばったりする。
その結果、幸せでいられるように思えるし、そういう心の強さを持つことこそが一番大切になる。
そんな風に感じてならない。
同じように感じている人は絶対多いと思うけれどいかがだろうか?
厄年が気になってしまうのはよくあること。
でもそういう人たちは、私も含めてだけれどなんだか“他力本願”。
心が弱くて、依存みたいな気持ちのあり方がないだろうか。
私も大層なことは言えないが、厄年に厄払いしない、そうでなくても神社やお寺に参拝するだけで最小限のことだけにする。
後は自助努力。
自分でがんばってその年を生き抜く、と心の強さを養うのも厄年のあり方かも知れない。
【まとめ】伝統も大切だけれど、自分の心もしっかりと!
そんなわけで、確かに厄年とか厄払いは、多くの人たちが行うし、昔からの伝統的な行事でもある。
そういう伝統を大切にすることも必要になる。
でも、それ考える私たちの気持ち、心のありようを自分たちでしっかり見つめることもやっぱり大切だ。
もともと厄年というのは“役に立つ年”とも言われている。
昔は災難や病気が多発しやすい年とそれに注意するように、という大事な意味を込めていた。
そういう災難に備えて心や体、そして生活を引き締めて見直すこと。
それこそが、昔から伝わる知恵になっているようだ。
ドヤ顔みたいにして語ってしまって申し訳ないけれど、このウンチク、私の知人でスピリチュアル方面に明るい女性からもらったものだ。
厄払いに意味ないと言って、そのように行動するのも勇気がいる。
でも同時に、昔からの習慣、伝統を大切にする心の広さ。
そういうご自身の気持ちに向き合って、どちらにするかをしっかりと選んでいただきたい。
山口昌子(やまぐち あきこ)