仕事を休むことを考えると、誰でも罪悪感があるのではないだろうか?
でもそれが悪い方に転げて、休むべき時には休まないためにうつになる人だっていることをぜひ知っておくと良い。
冗談ではなく、知らないうちに疲労がたまってしまい、うつなどの精神的な病気にもなってしまうことが少なくない。
それを無理して出勤し続ければ退職する羽目にすらなるのだ。
罪悪感もあるべきだけれど、しっかり自分を理解していないと、うつや他の大きな病気の元ともなるわけで、ちょっとやそっと体調が変だからといって休むわけにはいかない、と罪悪感のままに頑張り続けるのも考えものになる。
こういう時にはどう考えれば良いのだろうか?
休むに足る理由がないから罪悪感?
うつになりやすい人というのは、大抵マジメな人だ。
頑張り屋だし、周りからもそう思われている。
そういう期待感を背負うからこそ、休むことに一層罪悪感ももたげてくるはずだ。
でも、結局どこかで無理がたたるもの。
うつに一番近いところにいるようなそういうタイプの人は、いわば私たちのような30代、40代の中間管理職が多く、上からも下からもプレッシャーがかかる、本当に損な役どころだ。
私も経験があるけれど、休む以前にちょっと体調を崩しただけで、そのこと自体に罪悪感が芽生えるもので、休むなどととんでもない、自分のプライドにかけて出勤続行だ、となってしまうのだ。
要するに休むに足る深刻な理由がない限り休まない。
そして周りも同僚たちもそれでこそ評価されうる、となる。
うつになったら進退問題も絵空事ではない!
私は幸い、そういう心の疲労はそれほどに深刻ではなかった。
なぜならば、中間管理職まで上り詰めていたくせに、結構いい加減に仕事に取り組んでいたフシがある。
あまり仕事自体、そして職場の雰囲気自体に好感が持てなかった、生きがいと言えるようなものでもなかった、というのがあるかもしれないが、それで良いと思っていた。
でも確かに勤務時代、同僚ではないにしろ仕事の関係で知り合った人が重いうつ病にかかってしまって退職した、ということを聞いたことがあった。
うつになる人って、結局そこまで自分で自分を追い詰めてしまうんだろうな、と漠然と思ったりしたものだ。
はっきりいっってどちらがいいのか私にもわからないし、私のようにちょっと生理痛がやばくなったり、風邪で37度くらいの微熱が出たらもう休もう、などという姿勢が正しいのかは不明だ。
でも、罪悪感が激しいあまり頑張り過ぎた結果、自分自身の献身的な努力をあざ笑うかのように出てくるのがそういう心の病気、うつや自律神経失調症ではないだろうか。
罪悪感を覚えるよりも大切なことがある?中途半端な責任感はかえって危険
ただ、だからといって休む罪悪感をまるっきり捨てろ、などということは言えない、 うつになる、ならないではなく、そういう責任感の強い人たちが力を合わせることで、初めて質の高い仕事もできるに違いないからだ。
しかしながら、それはあくまでも同僚たちが互いに心身とも万全な状態であってこそのことになる。
うつになるのはそれ自体を壊してしまうことでもあるし、あるいはと思うけれど、休むのに罪悪感など感じない方がうまくいくのではないだろうか?
だからぜひ押さえておいていただきたいのだが、自分という人間が、一体どこまで頑張れるのか?どの程度の仕事の堆積まではなら大丈夫なのか?
自分自身でそれをできるだけ客観的に把握すること。
それこそが一番大切に思えてくる。
少なくとも、私のOL時代を振り返ってみた場合だが。
そしてそういう一線を超えて仕事に打ち込む、休むことをしないことが、その後うつなどを発症することを考えれば罪悪感よりもずっと大切ではないだろうか?
仕事の厳しさと、自分の限界を見極めてその兼ね合いをしっかりと管理
休むことに罪悪感を感じざるを得ない。
一面それは仕事の厳しさでもある。
だが、どんな人でも長期間残業や過重労働を続けていることには限界だって出てくるだろう。
もしも私のようないい加減な心構えでいたくないというのであれば、うつや大病のリスクは自分に跳ね返ってくるべきものでもある。
休む罪悪感とうつなどの危険。
シーソーゲームのようなものに違いないと思うけれど、そこには必ず兼ね合いも生じる。
そのバランスをとりながら毎日をしっかり送っていただきたい。
遠藤朱夏(えんどう あやか)