職場で良くあるハナシだけれど、既婚者の男性が不思議と落ち着いて頼もしく見えことが多い。
そういう既婚者を好きになったら告白する方が良いのかどうか、いろいろ考えあぐねてしまう女性も多いはずだ。
いつまでも自分の中でモヤモヤしていて気が晴れない、このままじゃ自分がダメになってしまうかも、とか恐怖とも心配ともつかない気の焦りに駆られてしまう。
既婚者を好きになったら告白するのも、そういう自分の気持ちをスッキリさせるのには一つの良い方法かも知れない。
だが悪いけれど、その気の晴れはあくまでも一時的なものだ。
「いやそんなこと絶対無い。あの人と私は必ず上手くやっていける」
と、反論する女性も多いに違いない。
でもはたしてそうだろうか?
「私は既婚者を好きになったら告白する!」と言って実行に移せば、多くの不幸がやってくる?
職場などで、どうしようもないくらい一緒に仕事をしている男性の既婚者にあこがれてしまう女性は確かに居る。
元々そういう女性自身の好みが、既婚者のような落ち着きのある男性に引かれてしまうタイプなのかも知れない。
私が前に勤めていた職場などの様子を見て思い出すのだが、既婚者の上司男性にちょっと惚れていた同僚女性もいたようだ。
そういう気持ちをぽつんと打ち明けたことがあったかと思ったら、ちょっとした後はっきりした形でお互い全く疎遠な雰囲気になっていたことがあった。
その彼女も
「私は既婚者を好きになったら告白するタチだ。絶対そうする」
などと自分で語っていた様な、あけすけな女性だった。
だが、女子仲間同士から話を聞くと、どうやら二人の関係がヤバいところまで行きかけたところ、何かの拍子でさらに上の上司の耳に届いてしまったらしい。
そして密かに二人が上役に密かに呼ばれたようだが、その席で相当大目玉を食らっていたようだ。
要するに会社側などにとっては同じ未婚者の従業員同士が好き合って恋愛関係になるのは良いとしても、既婚者と交際している、つまり不倫の関係になっていることは会社の風紀にとってもとんでもなくゆゆしいことだと言うことだ。
その結果、それっきり二人は横で見ている限りウンともスンとも会話せず、また目を合わそうともしなかったようだ。
既婚者を好きになったら告白するとまで“豪語”していた彼女も、風の便りに叱責された内容を知る限り、相手の既婚男性も含めて退職や出向などの措置をちらつかされたようなことも聞いている。
本当か嘘かも分からないレベルの噂話になるのだが、私はこの上層部の処断、間違ってはいないという思いが強い。
既婚者男性と彼女が幸せになる陰で多くの人が不幸に?
確かに情熱的な女性だったら、相手が既婚男性であってもいったん目がくらむほど好きになったら一途。
それこそ彼女のように
「既婚者を好きになったら告白する。障害のある方が燃え上がるんだから!」
みたいに突っ走る女性も中にはいるだろう。
そして相手の男性と強引に一緒になり、家庭生活を送ることも辞さないかも知れない。
だがここでぜひ考えておきたいことは、そういう自分たちの幸せを目指すのとは裏腹に、多くの人が泣き、不幸な目に遭うこととなる。
一つにはその既婚男性の家族。
嫁の女性もそうだし、すでに子供がいたら父親に家を出て行かれることになる。
自分たちの“母親”を裏切った形で、だ。
もう一つは既婚男性の彼自身。
勤め先での不倫がバレるし、その不倫相手の女性と一緒になることで、職場に居づらくなるのは目に見えていることだ。
しかもその結果、離婚という二文字が彼の履歴に汚点として残ってしまう。
そしてどのみち職場にも居づらくなり、ふつうに考えて二人とも仕事を辞めるしかなくなっていたのではないだろうか?
そしてまた、こういう先々の結果を考えれば、大胆に「既婚者を好きになったら告白する」などと言って自分の幸せを強引に求めようというのは、まずはもっと冷静さを持つべき態度ではないだろうか。
こういうことを考え合わせれば、もう何年も前のことになるけれど、あの当時会社の上役が行った処断。
既婚の同僚男性の家族が多くの不幸なハメに見舞われる事態を未然に防いだ、というのは評価すべきではないだろうか?
だからあれはやっぱり正しかった、と今でも私は思っているのだが。
自分だけが幸せになることを考えると大きな落とし穴にはまる?
既婚者を好きになったら告白することで自分の気持ちは確かにスッキリできることもある。
そしてまた、既婚者との恋愛は不倫という社会のそしりをまともに受ける行為だ。
だがヘンな話、上の私の持論をくつがえすことになるけれど、それでも既婚者男性が好きになったら、場合によっては勇気を持って告白して一緒になることも出て来る場合もあるかも知れない。
たとえば非常にまれなケースだけれど、今のその彼氏の家庭が非常に病んでいる様な場合だ。
愛情も何もなく、うわべだけの家庭生活に過ぎないとか、単に周囲の縁者などからの政略や損得ずくで結婚させられてしまった様な場合がそれになるだろう。
だがその時でさえも考えなくてはならないことがある。
それは、愛情がたとえゼロ、むしろ憎悪をむき出し合っているような愛のない家庭をその男性が持っている様な場合であっても、少なくと今の時点まで人と人が一緒になって暮らしていた、その歴史自体を軽く見すぎてはいけない、ということだ。
そういう不幸な家庭にあっても周囲、そして家族どうしてつながってきた絆というのはある。
その重さを良く踏まえる必要があるだろう。
じゃあ具体的にどうしたら良いのか?
どう考えて行動すれば良いのか?
というと、これは一つには、
「自分の幸せだけでなく、今の嫁の女性と離婚して自分と結婚するその男性、そしてまたもとの家族の幸せをも考えていく必要がある」
ということになる。
「既婚者を好きになったら告白する」というのは、自分の幸せのみを追求する発言にちがいない。
その一方、相手の既婚男性、そしてまたその家族の幸せについての配慮にはなおざりなのだ。
そこまでを見据えて、確かに自分がその既婚男性と一緒になることができてその結果、二人とも幸せになれるかどうか。
それをしっかり見据えていく必要が大いにあるだろう。
最後に。
確かに今の世の中、結婚して子供ができてもなかなか昔の家族とはちがい、いろいろとデコボコしていたりする。
だからそういう家庭生活を甘んじている男性既婚者に対して、既婚者を好きになったら告白するという思考も道理が立つことも多くなるのかも知れない。
だが幸せになりたい、という気持ちになるのは昔も今も同じだ。
その時どこまでしっかりと幸せの未来図を自分たちで作れるのか?
それが問われることになるにちがいない。
えがみななみ